子育てパパが考える

怒りか?怖れか?-児童虐待事件の報道から思うことー

こんにちは。かもごろう(@kamogoro123)です。

5歳児が両親より虐待を受け、死亡したという痛ましい事件がありました。

事件の概要や、とるべき社会的対策は、NPO法人フローレンスの代表理事、
駒崎弘樹さんの次の記事に譲ります。

「おねがい ゆるして」と書いた結愛ちゃんは、どうやったら救えたのか

この記事では、ただ、僕がどう思うか、正直なところ書き記しておこうと思います。

虐待事件に怒り

残念ながら、親が加害者となる虐待事件は、過去からありました。

そのたびに、僕が感じたのは「怒り」でした。

「なんで、あんな酷いことが子どもに対してできるんだ」
「虐待するような奴は人間のクズ。生きる価値無し」
「自分が苦しんで●ねばいいのに」

このように、虐待する親に対して、ひたすら怒りを覚えていました。
今回の報道でも、僕と同じように、怒りの声がtwitterでもたくさん見られます。

また、それは当然の反応だと思います。
僕もまた、怒っています。

最も愛されるべき存在の命が理不尽に蹂躙された。
許しがたい罪です。

もっと美味しいものを食べられるはずだったのに。
もっともっと、幸せに生きられるはずだったのに。

もっともっともっと、楽しく遊べるはずだったのに。

虐待事件に怖れ

しかし、今の僕は、怒りと同様、「怖れ」も感じます。

暴力的な加害者の親に対して怖れているのではありません。
自分に対する怖れです。

つまり、「自分もまた、子どもを虐待するのではないか?」という怖れです。

「肉体的な暴力は振るわないだろうけれど、精神的に虐待するのでは?」
「むしろ、すでに子どもを死ぬほど悲しい気持ちにさせていないか?」
「恐怖心によって子どもを支配しようとしていないか?」

僕は、怖れています。

子育ては楽しい。
子どもは可愛い。愛している。

この気持ちに偽りはありません。
でも。

子育てはストレスがたまる。
わがままを言う子どもと接していると本当につらい。
子どもを殴ってしまいそうな衝動に駆られる時もある。
怒鳴り散らして子どもを黙らせたこともある。

こういう自分もまた、いるのです。

「育児ブログ」なんて書いて、イクメンを自称し、
良き父親でありたいと心底努力している自分と、
一歩間違えれば虐待の加害者になり得る自分は、案外と近い。

怒りと怖れ

思うに、怒りとは、「自分ではない悪」に対して抱く感情です。

自分は正しい、間違っていない、少なくとも加害者になることはない。
自分は子どもを絶対に虐待しない。暴力を振るわない。
それに引き換え、あいつはなんだ。鬼だ。クズだ。
そう思えるからこそ、相手を一方的に怒ることができる。

でも、子育て真っ只中の僕は、もう加害者の親を全く自分と異なる他者と思えない。
自分をイノセントに「虐待とは金輪際無縁の存在である」と規定することはできません。
それは、哀しいことなのかも知れませんが。

もちろん、加害者に対して、情状酌量を求めているわけでは断じてありません。
厳罰に処すのが相当でしょう。

でも。

僕は、虐待事件の報道に接するたびに、怒りだけではなく、怖れを感じるのです。
そして、この怖れの感情にたいして、敏感でありたいと願うのです。

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

ーフリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』

皆さんは、どうでしょうか?